展示場風景

展示場風景

世界の3原色 ブルーとグリーンとグレー

台湾を旅行したときに、その街の美しさはブルーとグリーンとグレイで表せると思った。 ブルーとグリーンとグレイの3色からはいろいろなものを連想することができるだろう。平和な世界では、3色は爆発することなく、調和がとれている。野性的ではなく文化的なのだ。それは公園やプールサイドの一角の風景に例えることができる。  実際に彩色してみたらやはりきれいだった。僕はグレーの部分に住んでいる。グリーンやブルーの世界がグレーの世界を包んでいる。作品の回りには酒などの空瓶に植物を飾った。日々の歓談の声や思い出が世界を包んでいるようにしたかった。  あと1色加えるなら、暖色の灯りの色にしたい。夜に建物から漏れる光のイメージだ。初めの制作計画では、電球にブルーとグリーンとグレイに着色された布のシェードを取り付けて、3色の間接照明をつくりたかったが今回はうまくいかなかったので、いつか作りたい。そして今度それらを取り囲むのは、いろんな料理が並んだ食卓にしたい。

あたまのなかにあるものをないとはよべない    大きな面に好きなことをしていいという状況になったとき、一体どうやってそこを満たすか、満たせるか、胸が高鳴ると同時に途方に暮れる気持ちで、最後まで何をしようか決められなかったが、最終的に、僕の脳内にある幾つかのイメージを組み合わせてみながら目に見える形にしていく素直な作業をすることにした。  ずんずんと闊歩する複数の男性や力強いタイポグラフィ、気持ちよく組まれていくモチーフは、僕の中に映像としてあって、そうしたかっこいいイメージを組み合わせ、1つのかっこいい作品にしたかった。  そして、そういった内側にあるもの、内面的なものの色は何色かといえば、断然赤だと思った。  一旦作業を始めてみれば、面は全く大きくすぎることはなかった。いつかビルの一面に何かを描くことができたとしても、きっと広すぎるということはないのだろうと今は考えている。

今回の制作で考えたことは、イメージというものがとても心もとないところにあるということだ。それは確かに僕が見ているものだが、言葉にしようとしたり、形にしようとしたりするとぼやけてしまう。自分はイメージに依存していて、好きだけれど、制作にあたってはストレスにもなった。なぜなら、あたまのなかにあるものを「ある」とよぶこともできない、と知ったからだ。

3人の人物はファッションショーのモデルように闊歩している。それぞれの人物がきちんとしたストーリーを持っていることを示す為に上空に浮かぶ窓(額)と見えない線で結んでおいた。彼らにも家があり、心を依せる場所があり、系譜があって、僕がそれを知らないだけだ。

"I CAN'T CALL IT NOTHING WHAT IS INSIDE OF MY HEAD"

作品のイメージはホテルの部屋やリビングみたいな場所に掛けられている絵みたいなものだ。それらは特別に主張しないけれど、「ちょっといい感じの空間」を演出するための確かな装置の1つだ。通常、入ったホテルでは、窓からの景色やベッドのサイズやバスルームのアメニティグッズに目を奪われてしまうし、訪ねた先のリビングでは、ソファや家族写真やその家のペットに気を取られてしまう。それでも一度そういった作品に注目すれば、その空間の中でいかにそれが効果を発揮しているのか、そして重要かが分かる。たくさんの青いパーツは、ぼんやりとした存在で何にでも変化するが、1つにはプールを模している。プールは余暇の時間を象徴するもので、大きな容器でもあり、またある種の水辺でもある。初めはパーツたちそれぞれに装飾的なフレーズを当てはめていくことで、一見画一的に見えつつも多面的で奥行き感のある装置にしたいと考えていたが、今回いいフレーズを揃えるに至らなかった。けれども、もしそれぞれのパーツを眺める時間があれば、それぞれにプールサイドの情景やそれにまつわる物語を想像したりして、ちょっとした時間を過ごして遊ぶこともできるものだと思う。

木紛粘土にアクリルを混ぜて制作した。

ひらがなに関して「50音表」といったりするが、実際には50個のひらがなが使われているわけではない。例えば、や行は3文字であるし、「ん」の存在や、濁点、半濁点を付して表す音のことも気になった。そのように見ると、慣れ親しんだ日本語の50音表の向こうに無数の音の姿が見えてくる気がした。だから座標化した50音表のひらがなの文字と文字、その間、表の外を結んだりして、それまで意識していなかった音の気配を探ってみた。

「あたらしいなかま」 日本語の「音」とそれに当てはめられた「文字(漢字)」から生まれた「ひらがな」を線で結び三角形の関係にした。今回したかったことは、その三角形に新しい「文字(漢字)」と新しい「ひらがな」を新しい線で加えることだ。結果として三角形が2つ合体したものがたくさん宙に浮かぶことになった。

僕は、今回の新しい文字が、何かをより適確に記述できる道具になるんじゃないかというようなことを期待し、新しい文字によって、世界の容量みたいなものを増やせるんじゃないかというようなことを考えた。    制作に際して、文字について調べていたときに、変体仮名という現在使われていない膨大なひらがなたちに出会った。今のひらがなに至るまでに、長くおびただしい表記の試行錯誤の過程があって、そのなかで眠ることになったその文字たちを見たときに、ひらがなの豊かさと可能性を知った気がした。そして自分も同じように試行錯誤してみたいと思った。  初めは、自分独自のひらがなの提案をしたいと意気込んだが、それは結果的に、今のひらがなが持っている美意識や抽象化のパターンのようなものを辿ることになった。  長い精製を経たひらがなは美しかった。ひらがなが好きだ。

人の顔や体の輪郭を辿っていくのが楽しい。  大きな人を描いてみたいと思っていたので、今回描いてみたらとても良かった。大きく描く前には不安も少しあったが、描いてみるとむしろこのサイズが適正なのではと思うほどにしっくりした。     顔を描くときは大体左のコメカミから始める。そのまま顎に下って右のコメカミへ。そうしたら耳を描く。耳から首筋が下りて美しい曲線を描いて肩に至る。ここまで描くと満足する。髪がいい感じに加えられるともう満腹感がある。  ただし今回、輪郭から眉毛を描き込むに至った。右のコメカミから頬を伝って下唇に入る。下唇の輪郭をなぞって上唇へ。そこからバランスを見て鼻へ跳ぶ。鼻筋をすらすらと登ったところに眉毛が伸びている。何度か同じ道程を踏んでみて眉毛の始点の位置を確かめる。描き込んだらやはり正しかったような感じだ。 人体のこのような理路整然とした印象が好きだ。

座席を配置することは初めから決めていた。最初は食卓も想定していた。椅子は両サイドの作品と対峙できるよう2脚ずつが背を合わす形で配置していたが、来場した誰かが写真のように4脚が向き合う形に置き直していたので、それ以降の会期中そのままにした。当初食卓を置きたかった気持ちは、まさにこの配置の意味することと同じだと思ったからだ。

制作中のスケッチは大量になることを知った

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